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「これからの女性自然科学者への期待」

原 ひろ子

 この小冊子で紹介した明治時代生まれの女性自然科学者たちに続いて、次々といろいろな分野で活躍する女性たちが出現してきており、「女性には科学的思考ができない」といった偏見は、急速に消えつつあります。

 皆さんよくご存知のように向井千秋さんは、慶応義塾大学の心臓血管外科助手をしていた1983年に宇宙開発事業団のペイロードスペシャリストに選ばれ、1994年7月、米国のスペースシャトル「コロンビア」号に搭乗して、宇宙から地球を眺め、いくつもの実験を行いました。

 他にも、国際的な水準で貴重な研究をしている中堅の自然科学者が多数います。たとえば、国立極地研究所の東久美子助教授は、 科学技術庁防災科学技術研究所勤務だった1991年から1997年にかけて、カナダの地質調査所や、中国の蘭州氷河凍土研究所と国立極地研究所との共同研究、北極域のいくつかの氷河で雪氷コアのボーリングと分析を行い、雪に含まれている酸性物質の濃度の歴史的変動を地球規模で調べ、大気汚染の影響で北極域では過去50〜100年の間に酸性化が急激に進んだことを推定されたそうです。さらに、スウェーデンのルンド工科大学の浜本育子教授は、原子核物理理論の分野で活躍しています。

 自然科学分野の研究者の仕事ぶりを見ていると、研究する好奇心、論理構成力、想像力に加えて、研究持続のために自分の身体と上手に付き合う工夫が察せられます。さらに、男性研究者がのびのびと研究している研究室では、女性研究者もその実力を発揮しているようです。人文会の分野でも、研究は一人で進められるものではありませんが、自然科学の分野では、特にチームワークの必要性が大きいようです。

 また、1971年には日本の大学で初の女性理学部長に生物学の稲葉文枝教授(奈良女子大学)、続いて1973年、化学の阿武喜美子教授(お茶の水女子大学)が理学部長に就任し、女性科学者のリーダー・シップの力を証明しました。

 学会での活動も大切です。科学技術庁防災科学技術研究所の石田瑞穂博士は1995年から1999年まで日本地震学会会長の任にあり、米澤富美子慶応義塾大学教授は1996年から1997年まで日本物理学会会長を務めました。しかし、日本物理学会会員19,230名(1996年8月)中、女性は647名(3.4%)にすぎません。日本学術会議では1980年まで女性会員は皆無でした。第4部理学、第6部農学においては、1981年から1985年猿橋勝子(気象学・地球化学)、1985年から1994年林雅子(家政学・被服科学)、1994年から現在、島田淳子(家政学・調理科学)などの先輩が女性会員となって活躍してきています。

 女性科学者がお互いに励まし合う場として、1958年4月には「日本婦人(女性)科学者の会」が誕生し、1980年には「婦人(女性)科学者に明るい未来をの会」が生まれています。さらに、1992年「日本女性技術者フォーラム」なども結成されています。しかし、大学?冠学会などでの女性研究者比率はまことに低い状況です。それでも近年、理工系の学部に入学する女子学生は増えているので、21世紀の自然科学の場での女性研究者のますますの活躍が期待されます。

(お茶の水女子大学ジェンダー研究センター長・教授)