2002.11.30 OUCAシンポジウム 「子ども世代の理科教育を考える」
諸外国の教育事情
細矢 治夫
お茶の水女子大学 名誉教授
§1 揺れる文科省
昨年の1月中旬に、文科省は新学習指導要領を修正するかのように、『確かな学力の向上のためのアピール「学びのすすめ」』を発表した。そこで、欧米諸外国では、教育を最重要課題として、生徒の学力向上に向けた教育改革が進んでいる、ということを初めて認めた。このように、遠山文科相をはじめ、文科省の上層部はやっと我が国の教育の危機的状況を感じて慌てている。それは、欧米諸外国の教育改革の現状をやっと認識したからである。
しかるに、マスコミも我が国の教育の危機意識が薄かったが、最近やっとそこに気付き始めたようである。
§2 米国の教育改革
合衆国憲法には教育に関する規定はないので、教育についての定めは各州の裁量で行われて来た。だから、義務教育の開始年令と期間も州によって少しずつ違っている。9年と10年の州が最も多い。他は、それより長く、最高13年。当然、学習指導要領のように、画一的な教育課程に関する全国的に統一した基準は存在せず、多様性が米国の教育の最大の特色であった。
ところが、1983年4月に米国の若者の極端な学力低下を訴えた連邦政府の報告書「危機に立つ国家」が出され、全国的に教育改革が叫ばれるようになった。何れも「学力の底上げ」を目標としている。1989年1月に共和党から大統領に選ばれたブッシュは、早速9月に全米の州知事をワシントンに招き「教育サミット」を開催し、連邦政府の教育への介入を認めさせ、1991年4月には教育改革戦略「2000年のアメリカ」を発表して、各教科の全国的な専門団体に補助金を交付し始めた。
科学教育に関しては、多くの学会や団体間の話合いの結果、NRC (National Research Council) がまとめ役をやるという合意がなされ、連邦教育局とNSF の予算によって、「全米科学教育スタンダード」作成のためのアセスメント委員会が組織された。この委員会は 1992年5月から1年半をかけ素案をつくった。この間、かなりオープンに作業が続けられた。即ち、素案の4万部以上のコピーが、18000人の個人、250の団体に配付され、多くの人の意見を取り入れながら検討され、1994年12月に公表された。
このように教育に関して、それぞれの専門科集団の考えを尊重するという原則が暗黙の内に認められているという点は、我が国の施政者達に是非学んで欲しい。
この間、1993年1月に大統領は民主党のクリントンに代わったが、教育重視の路線の大筋は継承され、1994年3月には「2000年の目標:アメリカ教育法」が制定されている。1997年2月の一般教書演説では、「8歳の全ての子供が読み書きができるように、12歳の全ての子供がインターネットを使えるように、18歳の全ての子供が大学に進学できるようにしたい。」と主張している。民主党の改革の基本線は、1) 教育内容の基準作り、2) 地方や学校の自主性の尊重とそのアカウンタビリティである。
更に時は移り、2001年1月に、大統領は再び共和党のブッシュ2世に代わった。彼のスローガンは「No child left behind」である。ゴア副大統領との選挙戦では、教育改革が大きな争点だったが、大筋はあまり違っていない。ブッシュは、1年間民主党のE.ケネディ等と協議を重ね、2002年1月に、初等中等教育法改正法を超党派の下に成立させ、前年度から2割増の、年間6兆3000 億円の大形予算を初等中等教育の改革に当てた。このプロジェクトの概要は、1) 州内学力統一テストの実施と結果の公表(3?8年生、英語と数学)、2) 低所得者層への財政援助(転校や学習補助)、 3) 教員の資格試験、4) 成績の上がらない学校の教員の入れ替え、等の厳しいプランであるが、教員の確保と支援も視野の中に入っている。
このように、米国の教育に対する伝統的なスタンスとして州の自主制と多様性に特色があったのに、「危機に立つ国家」報告以後は、国を挙げて超党派的 (bipartisanship)に、しかも専門家の意見を中心に改革を進めたことは、我が国として大いに学ぶべきである。
§3 英国の教育改革
英国の義務教育は5歳から16歳までの11年間。その後2年間 sixth form college に2年間行ってから、高等教育(大学とカレッジ、通常3年間)や職業教育を受ける。
英国も、元来教育は地方行政に任せていたが、1970年代にいわゆる「英国病」と呼ばれる、社会、経済全体の活力低下が問題になり、教育改革が叫ばれるようになった。労働党のキャラハン首相は、1976年に「教育大討論」を開き、英国における教育の危機を全国民に訴えた。
サッチャー政権も 1988年に教育改革法を制定し、「全国共通カリキュラム」や「全国テスト」などによって、教育へのてこ入れがなされたが、高等教育に関しては、財政的な締め付けを行った。1990年にサッチャーを引き継いだメジャ?首相は、1991年の高等教育白書「高等教育:新しい枠組み」では、2000年までに大学進学率を3分の1までに拡大すると宣言した。1992年には、教育科学省から教育省を独立分離させている。1993年にポリテクニクの大学昇格を認め、高等教育の一元化をはかったので、英国の大学進学率は大きく増加した。更に研究・教育の評価のための制度作りを行った。
1997年に、教育政策を最優先課題に取り上げたブレアは18年ぶりに労働党から首相に選ばれた。教育白書「より優れた学校のために」、教育緑書「すべての子供に優れた教育を」を出した。政権2期目の2001年からは、中等教育の水準向上を最重点項目に置き、「すべての子供たちを成功に導く学校」という教育白書を出した。彼の掲げているスローガンは、「2010年には、30歳以下の青年層の50パーセントに高等教育の機会を保証する」というものである。更にブレアは、教育の中での科学教育の重要性をはっきりと公言し、予算の手当ても行なっている。
このような動きとは逆に、英国では慢性的な教員不足が続いており、教員の待遇改善策も取られている。また、高等教育機関では研究と教育の評価結果の公表を行い、初中等教育では全国テストの結果を学校毎に公表するなどして、教育現場に緊張感を与えている。
このように、英国でも危機感をバネに教育改革が進行している。
フランスでも、与野党それぞれが、教育を重要課題として認め、その改善に取組んでいる。ただドイツだけは、東西合併後も、未だに教育に関して州の独自性が主張され、生徒の学力低下を改善する挙国的な動きにまでは進んでいない。
§4 科学と技術の違いに対する認識
我が国の、政治家、ジャーナリズム、一般人の何れもが、「科学」と「技術」の違いと両者のあるべき関係について正しく認識していない。これも、我が国の教育関係における大きな改善点である。
先程少し紹介した、「全米科学教育スタンダード」では、幼稚園 (K) から第12学年(日本の高3)までを3段階に分けて、児童・生徒に科学的リテラシーをもたせるために、何を教えるかが書かれてある。しかし、その前にどういう思想で、どういう教育環境を作らねばならないかということの方が詳しく述べられてある。更に、教師側の心得が次のような順序で説かれている。
・ 科学を教えるに当たって、知っていなければならない最低限の心の準備
・ 教師の専門的な実力の向上のための心掛け
・ 児童・生徒の評価を適正に行うための基準
・ 質の高い科学教育を行うための条件
・ 科学教育のための、政府、学会、民間団体の協調システム
そして最後に、科学教育の内容のスタンダードが、物理科学(物理と化学)、生命科学、宇宙及び地球科学の3つの部門に分けて、大まかにまとめられてある。そこには、我が国の学習指導要領のように、こと細かな小項目的なキーワードは書かれていないので、教科書を書く者に任せられる自由度が極めて大きくなっている。
そのことより注目されることは、Kから第12学年までを3つに区切った全ての段階で、「科学」と「技術」の違いとその協調関係をくどいように説いてあることである。下に、その中心部分を抜粋してみる。
全米科学教育スタンダードからの抜粋
科学と技術の違いは、その目的が違うということである。すなわち、科学の目的は自然界を理解することである。一方、技術の目的は人間のニーズを満たすために現実の世界で修正や改造を行なうことである。技術における設計は、ちょうど科学における探究と対応するものである。科学と技術は緊密に協力している。ある問題にはしばしば科学的な側面と技術的な側面の両方が存在する。自然界の疑問を解き明かそうとする欲求は技術的製品の開発へと駆り立て、さらに技術的なニーズは科学的な研究へと駆り立てる。また、鉛筆からコンピュータにいたる技術的製品は、自然現象の理解を促進するための道具を提供するものである。 |
教科「技術」をこのような線に沿ってキチンと学習すれば、生徒は「科学」と「技術」の違いと関連だけでなく、「環境」、「エネルギー」、「情報」、「歴史」、「倫理」等の教科、または概念の間の関連なども総合的に理解できるようになるであろう。
§5 文献
A) | 文部省、文科省の公式出版物
1) | 教育指標の国際比較 平成11年版
文部省大臣官房調査統計企画課 (1999/1) |
2) | 諸外国の教育行財政制度
文部省大臣官房調査統計企画課 (2000/4) |
3) | 諸外国の初等中等教育
文部科学省生涯学習政策局調査企画課 (2002/1) |
4) | 諸外国の教育の動き 2000
文部科学省生涯学習政策局調査企画課 (2001/3) |
5) | 諸外国の教育の動き 2001
文部科学省生涯学習政策局調査企画課 (2002/3) |
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B) | 文部省、文科省以外の出版物(実質的にA)に近い内容)
1) | 諸外国の教育改革 世界の教育潮流を読む(主要6カ国の最新動向)
本間政雄、高橋誠、ぎょうせい (2000/7) |
2) | Education in Japan (About Japan Series 8) 2nd revision
Foreign Press Center (1995) |
3) | Education in Japan (About Japan Series 8)
Foreign Press Center (2001) |
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C) | 米国
1) | 全米科学教育スタンダード (National Science Education Standards)
National Research Council
長洲南海男 監修、梓出版社 (2001) |
2) | 国際競争力を高めるアメリカの教育戦略 技術教育からの改革 (Standards for Technological Literacy Content for the Study of Technology)
国際技術教育学会(著)宮川秀俊・桜井宏・都筑千絵(訳)
教育開発研究所 (2002) |
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