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2002.11.30 OUCAシンポジウム 「子ども世代の理科教育を考える」

―― 高校教育の現場から ――


桂木 悠美子
都立北多摩高校

1.理科嫌いはもっと一般的な「知離れ」−勉強嫌いなのではないか
 中教審答申で子供たちの知的な関心が希薄になる「知離れ」を「理科嫌い」として現れているのではないかと指摘されている。家庭での学習時間は先進国で最低。生徒たちは学習をしたくない。その背景には中流家庭が増え、少子化でもあり、比較的豊かであるため、親にはいつまででも育てられる経済的・時間的「ゆとり」がある。そのため、子供は「一人前」になるために勉強する切実さを感じていない。かっては「わがこと」であった勉強は「他人事」として面倒な思考過程より簡単に答えがでるスキルにのみ関心がある。

2.生徒の実体。化学は好きだけど数学が嫌いだから。
 最大の問題は日本語の理解力が不十分。実用文が読みこせない。教科書は難しく教科書を理解するための参考書が欲しいという。問題文を理解できないから解答は出ない。
a.中学の試験では解答は空欄に数字を入れるケースが見られる。単位は書かなくても良くなっている。高校で最初に苦労するのは単位の意味をわからせることである。数字を見ればいきなり計算を始める。数学のオートマティズムに毒されている。まず考えること、単位を見ることを理解させるのが大変。10進法も理解されていない。したがって桁の指数表現も、常用対数もダメ。化学は比例計算だよ、というが何と何が比例するかを考える力が欠如。基本的には数学がわからないから化学はできないと言う生徒が多い。数学のあり方を考えて欲しい。
b.実験は好き。でもレポートを書くのはイヤ。観察も漫然と見ているだけなので、観察とはある意図を持って見ることを指すことがわかっていない。観察から結論を理論的に導くことができない。

3.指導要領が変わるたびにめちゃくちゃになる理科教育
 10年前のカリキュラム改訂で個性重視、多様性の教育、ゆとり教育がうたわれた。が、多様性のターゲットになったのは理科と社会。社会人として必要な科学リテラシー(理科的素養)は高校教育が担っていくものであるが、実体としては理科2科目が必修選択制となった。興味関心を重視するためにおかれた「1A」の科目では現象の羅列で、知識の紹介に重点。現象の背後にある原理や法則を扱うのは指導要録外とされた。思考力を必要としない暗記すればいい科目へと変化。数学でも1年次に正と負の指数を扱っていたのが、1年次に正の指数、2年次に負の指数と分けられたため、物理や化学の学習には重大な支障が生じた。有効数字の数学的取り扱いはない。

4.大学受験科目に影響される高校理科教育
 提言−受験科目から理科をはずす
 受験科目の少ない私立大に人気が集中すると国公立大もセンター入試の受験科目を減らした。高校でも教育課程を編成する際に大学受験の変化に対応して理科の比重が切り下げられてきた。化学は必修でおかれるケースが多いので、受験科目とする理系の生徒と文系の生徒も共に学んでいる。実験を増やしたくとも受験科目として耐えられるだけの内容を実施せざるを得ず、実験は省略して問題演習を増やすことになり、文系の生徒にとってはウンザリする内容になる。将来大学で必要とされる思考力や表現力を養うためには理科を受験科目からはずして、受験資格として履修を要求する形に変えて欲しいと思う。その学科を受験するためには「生物と物理・化学を履修し、評定が4以上であること」という受験資格制限を行うことにより、理科教育を実験し、推論し、結論を導き出す科学として再生できるのではないかと思っている。履修条件資格は一部の大学の推薦では実際に行われているので、実現不可能な話ではないと思っている。