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桜化会(OUCA)は、お茶の水女子大学化学科・関連大学院の卒業生・修了生と現旧教員でつくる会です。

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第7回ホームカミングデイ 理学部共催 化学科・桜化会OUCA共同企画 公開講演会

2016年 5月28日(土)

日本の誇る幼児教育とその未来


松本 勲武
お茶の水女子大学名誉教授、東京保育専門学校 校長

東京には文部科学省が教員養成機関として認定する専門学校が11校あり、お茶の水女子大学(お茶大)は私が勤める東京保育専門学校を含む4校の指導を担当しています。私は職務のため改めて勉強する機会を得て、お茶大が日本における幼児教育の確立と発展に圧倒的な役割を果たしている事実を再認識いたしました。お茶大は幼児教育のメッカの役割を果たしています。公開されているお茶大附属幼稚園の学校評価を見てみますと、毎年国内外から三桁の人数の研修者・参観者を受け入れていることが分かります。幼児教育の世界で倉橋惣三先生のことを知らない人はいません! お茶大が主催する幼児教育に関する公開講座も全国的に有名です。

私たちはあまり意識していませんが、日本人が最も健康長寿であり、日本が犯罪率の低い安全で安定した国であるのは日本の保育幼児教育の成果であると、世界では評価されています。外資系製薬会社に勤める私の妻の話では、米国の製薬関係の会社が職員の採用にあたって血液検査を求めると拒否する人が少なからずいて、受けた人の四十数パーセントで薬物が検出されたそうです。我慢できない人、ルールを守れない人が増えているのです。

米国のスタンフォード大学で行われた通称マシュマロテストという研究があります。4歳の子どもたちを対象にして、一人ずつマシュマロをあげて、「先生はいなくなるけれど1分間食べるのを我慢できたらもう一つ上げるよ」と言って観察した結果、我慢できたのは三分の一だったそうです。そして、テストを受けた子どもたちを何十年にわたって追跡調査した結果、社会的な成功はIQに代表される認知能力の高さではなく、我慢する能力という非認知能力の高さに相関関係があることが明らかになりました。ちなみに東京保育専門学校の付属幼稚園の先生に聞きましたところ、4歳児の年中さんならば9割がた我慢できますよとの事でした。非認知能力にはそのほか思いやりや協調性や、故瀬野信子先生がおっしゃっていた研究者に必要な三つの「き」、「好き」、「やる気」、「根気」等も含まれますね!

保育幼児教育においても、より良く発展させるためには真理・事実の探究が必須です。羽入佐和子お茶大前学長がこの4月から館長をつとめられる国会図書館の玄関には「真理がわれらを自由にする」と掲げられています。また、ハーバード大学のモットーはシンプルに「真理(Veritas)」です。これらは聖書のマタイによる福音書の「真理はあなた方を自由にする(Veritas liberabit vos.)」に由来するものでしょう。「自由にする」とは「守る」ということです。保育幼児教育の世界では、歴史、教育学、心理学、経済学などの社会科学ばかりでなく、生命科学、脳科学等の自然科学の分野の真理・事実が重要になってきました。

日本の近代的幼児教育は140年ほど前に設立された東京女子師範学校とその付属幼稚園が出発点になっています。儒教や仏教を信じていた人たちが開国に伴いキリスト教の教えや文化を積極的に学び取り入れて工夫し発展させました。
岩倉具欧米使節団に随行した経歴のある文部少輔(次官)田中不二麿が女子師範学校の設立建議書を三条実朝太政大臣に提出し認可されたのですが、建議書の中には詩経の小雅に出てくる軒輊(けんち)という言葉が使われています。当時男女間で社会における役割が不平等であることを指摘した言葉で、現在の男女共同参画の施策を先取りしたような建議書であったと思います。東京女子師範学校初代摂理(校長)の中村正直は元々儒学者でしたが、蘭学を学び英国留学し、「天はみずから助くるものをたすく」で有名な「西国立志編」を出版しています。葬式は神式で行われましたが、お墓は谷中の了ごん寺にあります。付属幼稚園の初代監事(園長)関信三は元々僧侶でしたが欧州留学の経験があり幼児教育の翻訳書を出版しています。谷中の宗善寺にある関信三のお墓はドイツの幼児教育の祖フリードリヒ・フレーベルのお墓の形を模したものです(お墓巡りがご趣味の名誉教授の立花太郎先生は勿論ご存知だと思います)。付属幼稚園の首席保母はフレーベル設立の保母学校出身のドイツ人松野クララでした。幼児教育においてピアノやオルガンの伴奏による歌唱を取り入れた功労者ではないでしょうか。歌は子どもたちの心を一つにしたり、集団行動を行う上で、パブロフの条件反射のように絶大な効果があることは皆様よくご存知の事ですね。また、現在校歌のない学校や幼稚園はないのではと思いますが、日本で初めての校歌が東京女子師範学校の「みがかずば」であることも教育界での先導機関であった事の証拠ではないでしょうか。

明治初期には民間にも保育の偉人がいました。孤児の父と敬われている石井十次です。凡そ130年前に岡山孤児院を設立し、12則と呼ばれる方針を打ち出し、国からの支援がない状況で1200名もの孤児を引き受けた時期もあったそうです。12則の方針のいくつかは現在の児童養護施設の運営方針や里親制度として引き継がれているほど先駆的でした。

近年、保育幼児教育の研究に取り入れられているのは、経済学、自然科学、疫学、臨床試験などの手法です。主観におちいりやすい研究をより客観的にするための適切な対照群の設定や統計学的処理などです。また、体を痛めることなく脳の活動部位を観察したり、保育に関連するオキシトシンホルモンなどの微量の生体物質を検出する技術が開発されていることです。教育学と自然科学が融合した研究成果が続々と出てくるものと思われます。

今年出版された米国の研究者の本「The Importance of Being Little ‐ What Preschoolers Really Need from Grownups」によりますと、適切な保育が受けられない環境の子どもたちを、「何もしないグループ」、「食事を十分に摂らせるグループ」、「よく話しかけてあげるグループ」の3グループに分けて発達を観察したところ、「よく話しかけてあげるグループ」の発達が最も良かったそうです。フロアからの質問のように、被験者の子どもたちには申し訳ないですが、子どもたちの血中オキシトシン濃度がどのように変化したかも知りたいところですね?

最後に脳科学の本「脳を最適化する(The Sharpbrains Guide to Brain Fitness: How to Optimize Brain Health and Performance at Any Age)」を読んで、自分で実験してみたことをご紹介します。先の田中直子先生のお話にも出てきたように脳細胞は大人になるとほとんど増殖しないという事は常識でした。しかし死亡直後の老人の脳細胞を取り出して、分裂していると光る試薬を使って調べると、光っている部分がある、つまり老人でも分裂している脳細胞があるという結果が出たそうです。著者によれば、脳も筋肉のようにトレーニングすると脳細胞が増えて強化される、ブレインフィットネスが可能だということです。そこで子供のころどうしても暗譜して弾くことができなかったバイオリンの演奏に挑戦しました。1年かかりましたが、私にとっては奇跡的に第5ポジションまで使う「ユーモレスク」を暗譜してホールの聴衆の前で演奏することができました。子どもの時は努力が足りなかったのかなと思っています。皆様も何かブレインフィットネスに挑戦されませんか?