JSPS学術システム研究センター18年度調査研究実績報告書

「化学と工業」の編集において提 案したテーマ(2002年) 「生命という現象に挑む化学」



JSPS学術システム研究センター


18年度調査研究実績報告書 (今野 美智子)


研究題目

化学分野に関する学術動向の調査・研究について

分野 生物分子科学・構造生物化学・生体関連化学

調査研究項目
1)当該分野の特徴・特性等
生物の活動を理解する上では、生物進化を念頭に置き、全生物に共通する機能と、個々の生物に個別的な機能とを区分して、それぞれの機能の分子科学的な原理 解明が必要となる。まず、全生物に共通する機能は、生命活動を維持し、また、細胞分裂を引き起こす上で不可欠な機能であり、その分子科学的な原理解明は、 原始生命の発生過程の解明への階段を登るための必須なステップである。一方、個々の生物に個別的な機能は、その機能に関与するタンパク質分子の作用機構の 構造化学的な解明によって、初めて、その特異性を創製するタンパク質進化と関連付けが可能となる。具体的には、タンパク質進化によって、新たな機能が獲得 され、その結果、「生物の進化」を誘起する過程の分子科学的な原理解明への道を拓く。
生物分子科学と構造生物化学は、生命活動に関与する生化学的反応において、機能分子として反応に関与するタンパク質、RNA分子の作用機構を、構造化学的 に解明する。その基礎となるのは、タンパク質分子、RNA分子、RNA含有タンパク質の立体構造と、これら生体分子の関与する生化学的反応、現象の反応化 学的な詳細な研究結果である。従来から、生化学的、生理学的に興味深い生化学的反応、現象の反応化学的な研究が先行し、その反応化学的な研究成果に基づき 推定される反応機構を、分子科学的に検証するため、反応に関与するタンパク質分子、RNA分子、RNA含有タンパク質の立体構造を利用するという協力関係 が成り立っている。特に、遺伝子工学の普及の結果、生化学的反応、現象の研究において、天然由来のタンパク質に代えて、組み換えタンパク質の利用が拡大す るとともに、組み換えタンパク質を用いた立体構造の解析結果が一層重要視される状況となっている。
全生物に共通する機能のうち、核酸鎖とタンパク質分子とが関与する過程としては、細胞分裂時のDNA複製、DNA分配の過程、転写過程におけるRNA合 成、転写の制御、翻訳過程、翻訳に利用されるアミノアシル化t−RNAの合成過程など、核酸鎖に作用するタンパク質の機能と、そのタンパク質分子の反応に 関与する部位と、その反応機構の分子科学的な原理の解明が、生命活動の理解を進める上で、重要性を有している。一方、真核生物全般に共通する機能中、核酸 鎖とタンパク質分子とが関与する過程としては、DNA損傷とその修復過程、転写されたpre-messenger RNAのスプライシング過程などの機構 があり、それらの機構に関与するタンパク質分子の反応に関与する部位と、その反応機構の分子科学的な原理の解明が、原核生物から真核生物への進化過程を、 タンパク質進化の観点で解明する上で、重要性を有している。
細胞内と細胞外との情報伝達機構と、その機構に関与する細胞膜結合型タンパク質の細胞外ドメイン、細胞内ドメインの機能に関して、その構造化学的な作用原 理の解明は、真核生物の進化過程、ならびに、多細胞真核生物における細胞の機能分化が獲得される進化過程を、タンパク質進化の観点で探求する上で重要であ る。
さらに、ヒトを含む動物における、種々の内因性疾患に関連するタンパク質、腫瘍発生(癌発症)の過程に関与するタンパク質の報告が蓄積されるとともに、本 来の正常な生命活動と異なる、疾患状態の誘起過程における、関連タンパク質分子の機能の構造化学的な解明は、それらの関連タンパク質分子の機能阻害による 治療手段を開発する上で、その基礎となる。加えて、分化過程を誘起する遺伝子群の特定とともに、これら遺伝子群の発現を調整する機構、例えば、DNAメチ ル化等の過程に関与するタンパク質分子の反応に関与する部位と、その反応機構の分子科学的な原理の解明が、多細胞真核生物における細胞の機能分化が獲得さ れる進化過程を、タンパク質進化の観点で探求する上で重要である。
生物分子科学と構造生物化学は、生物の細胞内で起こる種々の現象、ならびに、この細胞内で起こる種々の現象を誘起する細胞外との情報伝達に関与するタンパ ク質分子の機能を解明するため、その立体構造に基づき、反応に関与する部位と、その反応機構を分子科学的に解明することを、直接の目標とするが、生体反応 全般を、化学反応として捕らえ、反応機構の構造化学的な原理解明を介して、その先には、生命自体の本質、生命発生の過程、ならびに、生物進化の過程を分子 科学的な観点で解明するという究極の目的を秘めている。

2)過去10年間の研究動向と現在の研究状況
生物分子科学と構造生物化学は、生物の細胞内で起こる種々の現象、ならびに、この細胞内で起こる種々の現象を誘起する細胞外との情報伝達など、その対象 は、生物全体の多様性に由来して、個々の研究は、外見上は広いスペクトルを示すが、上記する観点から、原理的な共通性を考慮すると、過去10年間の研究動 向における、代表的な関心事項(研究対象)は、以下のように纏めることができる。
(1) DNA複製
原核生物、真核生物中の染色体DNAの複製過程に関与するDNAreplicaseは、DNApolymeraseと、sliding-clampタンパ ク質との複合体で構成されるが、その複合体の構成には、clamp-loaderタンパク質が介在している。また、ミトコンドリアDNAの複製過程は、染 色体DNAの複製過程とは独立した過程であり、異なるDNAreplicaseが関与することが判明してきている。その二つの複製過程のうち、染色体 DNAの複製過程の分子科学的なメカニズムの解明に関しては、日本でも、真核生物における染色体DNAの複製開始領域に対する複製因子集合過程の分子的機 構の研究、真核生物における染色体DNA時に観測される複製フォークの形成過程の分子ダイナミズムの研究、DNA複製開始とその進行の制御機構の研究、 DNA複製開始に先立つ細胞周期のチェックポイントコントロール、例えば、S期内でのDNA損傷のチェックポイントコントロールの分子機構の研究など、真 核生物における複製過程に特徴的な現象に関与するタンパク質群の機能に関する研究が進められている。

(2) DNA損傷修復
染色体DNA中に導入された各種DNA損傷の修復は、多くの場合、染色体DNAの複製過程、あるいは、細胞周期中のDNA損傷のチェックポイント過程と共 同的に進行する。DNA損傷には、複数種の欠陥導入があり、それぞれ異なった機構で修復がなされる。その修復機構では、損傷部位の検出に関与するタンパク 質分子と、その損傷部位を、正常な核酸鎖を鋳型として、部分的なDNA鎖の合成と、損傷部分との置き換えの各ステップを担当する複数種のタンパク質分子と で構成されるタンパク質集合体が関与している。DNA損傷の修復過程で誤って導入される変異は、癌の発症との関連性がある。それらの観点から、日本では、 発癌における、外的要因によって誘起されるDNA傷害と、DNA損傷の細胞周期チェックポイントおける分子機構に関する研究、複製エラーを起こす損傷乗り 越え型DNA合成酵素の機能解析と誘起される変異と発癌との関連性の研究、DNA損傷バイパスに伴う突然変異の誘発とその抑制の分子メカニズムの研究、 DNA修復に起因するクロマチン構造変換とその制御機構の研究、ヒト細胞におけるヌクレオチド除去修復のバックアップ機構に関する研究など、DNA損傷の 修復過程に起因して導入される突然変異と、癌発症の関連性などの現象に着目する研究が進められている。また、酸化傷害DNA修復系酵素群の立体構造解析お よび分子機能解析など、修復過程自体に関与するタンパク質集合体の構造化学的な機能解析の研究も進められている。

(3)DNAの分配
DNA複製過程に引き続く、ゲノムDNAの分配過程は、全生物種に共通する機構である。その分配過程では、ゲノムDNAのみでなく、プラスミドDNAも分 配がなされる。さらには、ミトコンドリアDNAの複製、分配、分配後のミトコンドリア全体の構築も、細胞分裂の周期に同期して進行する。いずれのDNA分 配過程でも、ゲノムDNA中のセントロメア領域、種々の環状DNA中のセントロメア様領域に選択的なDNA結合タンパク質による複合体形成、極へと連索す るマイクロチューブリンタンパク質との結合の二つの特徴的は過程が関与している。さらには、ゲノムDNAの染色体形成の過程における、ヒストンタンパク質 とのDNAとの結合により誘起される、スーパーコイル構造の形成を含め、DNAの分配過程に関与する、DNA結合タンパク質とDNA鎖間の相互作用の分子 科学的なメカニズムの解明が進められている。同時に、環状DNA、特には、ミトコンドリアDNAに関しても、ミトコンドリア特異的なヒストン用タンパク質 により誘起されるスーパーコイル構造の形成の過程に関しても、関心が向けられている。種々の遺伝子欠陥に起因する疾患において、有性生殖における配偶子の 形成過程、すなわち、減数分裂時における、染色体DNA分配の均等性の崩れに由来する、余剰染色体がその要因となっている。その観点から、日本において も、減数分裂過程に特有の染色体分配制御機構、特に、セントロメア領域に対する染色体接着因子タンパク質の結合による減数分裂過程における染色体分配制御 機構の研究が進められている。また、ゲノムDNA中のセントロメア領域、種々の環状DNA中のセントロメア様領域に選択的なDNA結合タンパク質による複 合体形成が、DNA分配過程中、最も注目される課程であり、各種細菌を利用して、そのゲノムDNAの分配過程における、セントロメア様領域の分子機能の解 明を目的とした研究が進められている。さらには、ゲノムDNAに加えて、分裂後の細胞内の生合成過程に不可欠なタンパク質に関しても分配がなされる点を考 慮し、細胞分裂時のDNAとタンパク質の分配を支配する二極化した局在過程の動的メカニズムを探る研究も進められている。関連して、細胞分裂自体を制御す る機構、あるいは、全能性細胞からの細胞分化が進行する過程を誘起する機構に関与するタンパク質、例えば、RhoファミリーGタンパク質群の機能と、その 発現制御機構などに関する研究もなされている。
その他、通常の細胞分裂に伴うDNA分配機構とは異なる機能を有するDNA分配機構としては、種々の生物で見出される細胞融合過程における、ゲノムDNA の交換過程と、その後のゲノムDNAの再分配過程がある。それに類する機構としては、ゲノムDNAを構成する相同染色体DNA間での交換過程と、その後の ゲノムDNAの分配過程がある。これらの機構と関連して、染色体の安定性を保障する分子機構、染色体の動態を制御する分子機構など、多様な生命体の遺伝的 特性の維持・継承を調整・制御する機構に関与するDNA結合性タンパク質の機能の解明に繋がる研究も進められている。

(4)RNAの機能
種々の生物において、“small, noncoding RNA (ncRNA)”と称される、転写・翻訳過程において、制御因子としての機能を有するRNA分子が存在している。例えば、通常は、スプライソゾーム中に存 在し、pre-messangerRNA中のスプライシング・サイトと特定に関与するU snRNA群の一つ、U1 snRNAは、転写因子タンパク質TFIIHへの結合性を示し、それに伴って、転写開始を誘起する機能を示す。また、“cis-Encoded Antisence RNA”、ならびに“trans-Encoded Antisence RNA”は、転写過程のRNA鎖伸長機構、転写されたRNAのプロセシングあるいは塩基の修飾、RNAの安定性の維持機構に関与している。加えて、 mRNAの翻訳過程においても、“cis-Encoded Antisence RNA”、ならびに“trans-Encoded Antisence RNA”が関与する調節機構が存在している。これらの“cis-Encoded Antisence RNA”、ならびに“trans-Encoded Antisence RNA”の機能は、塩基対を形成することによって、二本鎖RNAを構成することで発揮されている。種々の“small, noncoding RNA (ncRNA)”中、その医学的治療への利用から、最も高く着目されているのは、真核生物中で機能する“cis-Encoded Antisence RNA”の一種、“Small interfering RNA (siRNA)”である。siRNAは、主に、対象となるRNAの安定性を損なうことによって、その翻訳を抑制する機構を介して、対象となるタンパク質の 産生を抑制する。多くのsiRNAは、外来のRNAに由来しているが、内因性RNAに由来するものも発見されている。実際に、日本においても、その医学的 治療への利用を念頭に入れ、種々の内因性タンパク質の産生を、特異的に抑制する機能を有するsiRNAに関する研究が進められている。

(5)転写制御・スプライシング
pre-messengerRNAのスプライシング機構、特に、pre-messengerRNAのアルタネイティブ・スプライシング機構は、高等真核生 物中におけるタンパク質産生、特には、組織依存的なタンパク質のスプライシング異性体産生を可能としている。また、タンパク質のスプライシング異性体産生 は、種々の疾患の要因ともなることが判明している。その観点から、アルタネイティブ・スプライシング機構における選択に関与するタンパク質群の役割、その 調節過程に関して、代表的な系において、研究がなされてきた。
一方、真核生物におけるpre-messengerRNAの転写機構に関与するRNA polymerase IIの遺伝子DNA上のプロモータ領域への結合過程、また、RNA polymerase IIによるpre-messengerRNAの伸長過程に関して、それぞれ分子科学的なメカ二ズムの解明と、その転写機構の制御に関与する種々の制御因子 タンパク質の機能の解明がなされてきている。
日本においても、pre-messengerRNAのアルタネイティブ・スプライシング機構、ならびに、RNA polymerase IIによるpre-messengerRNAの伸長過程の調節に関与する制御因子タンパク質の機能の解明に貢献する研究がなされている。

(6)翻訳・タンパク質折りたたみ
転写されたRNAの情報に従って、ペプチド鎖へと翻訳する過程は、全ての生物が共通して有する機能であり、この翻訳機構に関与するリボゾームを構成するタ ンパク質群、ならびに、それらタンパク質が関与する素過程;開始コドンの特定とメチオニルt−RNAの割付、ペプチド鎖の伸長、終止コドンの検出と伸長反 応の停止、RNA分子取り外しの各素過程の概要は、解明されてきている。そのうち、特定された開始コドンに対するメチオニン残基の割付、コドンとアンチコ ドンとの対照と、アミノアシルt−RNAからペプチド鎖C末へのアミノ酸の付加、終止コドンにおけるペプチド鎖の伸長反応の停止とペプチド鎖の切り離し、 これらの各素過程に関しては、広く研究され、全ての生物において、本質的に共通のメカ二ズムが機能していることが確認されている。
一方、RNA鎖中の開始コドンの特定と、翻訳終了後のRNA鎖のリボゾームからの取り外しの素過程に関しては、原核生物と真核生物との間で相違点が存在す ることも判明してきている。特に、真核生物においては、ORF中において、開始コドンの上流に、フレームが一致した複数のAUG配列が存在しており、開始 コドンを特定するメカニズムと、それに関与するタンパク質群の役割に関して、なお不明点が残されている。また、所謂、オペロンを構成する一群のタンパク質 を一体的にコードするRNA鎖から、各タンパク質を翻訳する過程における開始コドンを特定するメカニズムに関しても、なお不明点が残されている。特に、オ ペロンにおいては、上流に位置するタンパク質のコード領域中に、他のタンパク質の開始コドンが、異なるフレームで存在する事例も多く、異なるフレームにお いて、それぞれの開始コドンを特定するメカ二ズムに関して、なお不明点が残されている。加えて、オペロンにおいては、一つのタンパク質の翻訳後、一旦、 RNA鎖をリボゾームから取り外し、再利用する過程が存在すると推定されるが、その詳細に関しては、解明の途上にある。
また、翻訳機構に先立ち、20種のアミノ酸に対して、アミノアシルt−RNAを合成する酵素反応も、本質的に、全生物間で共通性を有し、生命の起源に直結 する素過程である。その半数程度に関して、反応過程に関して、構造化学的な研究成果が蓄積されてきている。
日本においても、翻訳過程に関連して、リボゾームを構成するタンパク質群、ならびに、それらタンパク質の個々の機能に関して、研究の一環を担っている。ま た、アミノアシルt−RNAを合成する酵素反応に関しても、反応過程に関して、構造化学的な研究の一環を担っている。

翻訳されたペプチド鎖がタンパク質の三次構造を形成する、タンパク質折りたたみ過程は、古くから興味を持たれている分野である。タンパク質折りたた み過程は、タンパク質の機能発現に不可欠な過程であり、組み換え発現技術の利用拡大とともに、その分子科学的なプロセスの解明が進められてきている。加え て、小胞体(ER)内における、信号伝達系に関与する膜貫通型のタンパク質群、分泌型タンパク質群のfolding、また、そのfoldingに先立つ翻 訳後修飾の役割も、広範な興味を持たれている分野である。
日本においても、タンパク質の三次元構造の類似性と、その折りたたみ過程の共通性の観点から、タンパク質折りたたみプロセスの分子科学的な研究の一環を 担っている。さらには、小胞体(ER)内における、信号伝達系に関与する膜貫通型のタンパク質群、分泌型タンパク質群の折りたたみに関与すると見做され る、種々のタンパク質群の機能と役割に関して、様々な対象タンパク質に関して、研究が進められている。

真核生物、特には、高等真核生物において、広範な興味と、応用面から研究が進められている対象は、多岐に亘っている。それらを網羅的に紹介すること は困難であるが、特に、医学的な応用を目的して、下記の6つのカテゴリーに分類可能な研究が活発に進められている。
(7)信号伝達・細胞膜結合タンパク質
(8)内因性疾患関連タンパク質
(9)腫瘍発生に関連するタンパク質
(10)分化過程に関連するタンパク質
(11)物質輸送過程に関連するタンパク質
(12)翻訳後修飾によるタンパク質の機能・活性制御

3)今後10年間で特に進展が見込まれるテーマ・推進すべきテーマ等
まず、生命自体の本質、生命発生の過程、ならびに、生物進化の過程を分子科学的な観点で解明するという究極の目的を考えると、下記の6つの分野に関して は、なお、解明しなければならない根本的な問題が数多く残されている。
(1)DNA複製;(2)DNA損傷修復;(3)DNAの分配
(4)RNAの機能
(5)転写制御・スプライシング;(6)翻訳・タンパク質折りたたみ
実際に、(1)DNA複製と(2)DNA損傷修復の過程は、生命活動の根幹をなす過程であり、その過程に関与するタンパク質群に共通性が高い。特に、損傷 箇所を有するDNAにおいて、その損傷部位をバイパスしたDNAの伸長過程の分子科学的なメカニズムのより詳細な解明が必要とされている。加えて、原核生 物から真核生物、特に、高等真核生物へと進化する過程において、これらの過程に関与するタンパク質群は、タンパク質進化を遂げている。その結果、複数のタ ンパク質ファミリーを構成し、機能的な分化も進んでいる。その点に着目し、生物進化を超えて保存されている、複数のタンパク質ファミリーの構造的な共通性 を検証するとともに、その機能分化の関連する構造的変化と、実際の機能を発揮する相互作用に関して、さらに構造化学的な裏付けの蓄積を図ることが必要であ る。
高等真核生物に関しては、主に、動物(ヒト)に関して、研究が進められているが、植物においても、そのタンパク質進化の過程を検証することが必要である。 また、植物においては、細胞分裂に同期していないDNAの複製過程、すなわち、葉緑体中のDNAの複製過程、ならびに、ミトコンドリア・DNAの複製過程 が存在している。さらには、大核と、小核を有する生物において、大核内におけるDNAの複製過程の分子科学的な解明も、生物の多様性を理解する上では、重 要な対象となる。DNAウイルスの複製、プラスミドDNAの複製など、マルチコピーの作製を可能とする、宿主細胞内におけるDNA複製機構の制御機構も、 研究対象の一つとなる。
細胞分裂自体の過程、例えば、紡垂体構造の形成、その後、分裂に伴う細胞膜組織の分離過程を含めて、(3)DNAの分配過程の全体像を解明する必要があ る。まず、ゲノムDNA中のセントロメア領域、種々の環状DNA中のセントロメア様領域に選択的なDNA結合タンパク質による複合体形成に関与する、タン パク質群の機能を構造化学的に解明する研究を継続する必要がある。
(4)RNAの機能に関しては、転写・翻訳過程において、制御因子としての機能を有するRNA分子“small, noncoding RNA (ncRNA)”と、その機能に関与するタンパク質との相互作用を構造化学的に解明する研究を継続する必要がある。なお、siRNAに関しては、その医学 的な応用から外因性のsiRNAの研究は、さらに、その対象を拡大していくと予測される。一方、内因性のsiRNAに関しても、その本来的な機能の解明 は、生物進化の過程にも関与すると推定され、興味深い対象である。いずれにしても、siRNAの機能発現に関与するタンパク質を含め、構造化学的にその作 用機構の詳細を確認する研究は重要な研究対象である。
(5)転写制御・スプライシングの分野において、pre-messengerRNAのアルタネイティブ・スプライシング機構を介した、高等真核生物中にお ける組織依存的なタンパク質のスプライシング異性体産生の制御機構は、個々の対象の研究を積み重ねることで、機構的な共通性を見出されると考えられる。一 方、転写の制御に関与するタンパク質群は、多くの報告が蓄積されてきており、それら制御因子タンパク質の構造解析に基づく、DNA上の結合部位塩基配列特 異的な相互作用の構造化学的な検証が今後とも、増えるものと考える。
(6)翻訳・タンパク質折りたたみの分野においては、まず、真核生物において、mRNAのORF中において、開始コドンの上流に、フレームが一致した複数 のAUG配列が存在する際、開始コドンを特定するメカニズムと、それに関与するタンパク質群の役割に関して、その解明が今後の課題として、残されている。 また、翻訳終了後のRNA鎖をリボゾームから取り外す素過程に関しては、原核生物と、真核生物の双方において、それぞれ、その機構の詳細を解明する研究を 継続する必要がある。小胞体(ER)内における、信号伝達系に関与する膜貫通型のタンパク質群、分泌型タンパク質群のfolding、また、その foldingに先立つ翻訳後修飾の役割も、様々な対象において、広範な研究が進められると予想される。

特に、医学的な応用を目的して、下記の6つのカテゴリーに分類可能な研究が、なお一層活発に進められると考えられる。特に、ヒトゲノムの解明後、そ の遺伝情報中、疾患に関与すると推定されるもの選別が加速されている。
(7)信号伝達・細胞膜結合タンパク質
(8)内因性疾患関連タンパク質
(9)腫瘍発生に関連するタンパク質
(10)分化過程に関連するタンパク質
(11)物質輸送過程に関連するタンパク質
(12)翻訳後修飾によるタンパク質の機能・活性制御

4)当該分野における諸課題と推進手法等 
上で説明したように、研究の対象は、多岐に亘るが、生命活動の本質により深い理解を得るための「基礎研究」的な色合いの濃い、(1)DNA複製;(2) DNA損傷修復;(3)DNAの分配;(4)RNAの機能;(5)転写制御・スプライシング;(6)翻訳・タンパク質折りたたみ、の6分野と、医学的な応 用を目的とする、(7)信号伝達・細胞膜結合タンパク質;(8)内因性疾患関連タンパク質;(9)腫瘍発生に関連するタンパク質;(10)分化過程に関連 するタンパク質;(11)物質輸送過程に関連するタンパク質;(12)翻訳後修飾によるタンパク質の機能・活性制御、の6分野とに、外見的には二極化が進 む可能性が高い。
しかしながら、全体的にみれば、実際に研究する対象は、ヒトにおける疾患と、正常状態との相違を解明する上で、最終的には利用される成果を与える研究がそ の多くを占めると予測される。その際、上記の対象は、全て、全世界的な研究者の広がりを有するものであり、それぞれが、研究の一環を担うことで、国際的な 役割分担と、情報の共有化を介して、より研究の速度向上が図れる対象でもある。特に、個々の現象に関して、その分子科学的なメカニズムを解明する際、それ に関与するタンパク質は、タンパク質進化の過程を経て、機能分化を達成しているという観点に立ち、メカニズム的な共通性を見出すことで、多くの現象に関し て、共通の理解を深めることができる。一方、実際に研究対象とする現象毎に、専門化、細分化の傾向が増しており、相反する流れとなっている。
我が国の研究ポテンシャルを向上させる上では、役割分担と、情報の共有化という問題を、個々の研究者の努力に任せるのではなく、第三者機関がその役割を大 幅に補うというシステムの構築が、今後必要性を増すと考えられる。
また、現状でも、実際的に一定水準以上の研究技術、ノウハウを蓄積している研究機関は、各地区のセンター的な役割を有している。今後は、その傾向をさらに 強め、研究のアイデアを提供する「研究者(提案者)」と、実際の実験操作を行う「実施担当者(担当機関)」の役割分担を行うことが、研究投資効率の向上に 繋がると考える。「若手研究者」の育成には、「実習的な経験」も重要であり、一定期間、「研修期間」として、「教育的な研究機関」における「実習的な研究 活動」を引き受ける制度(インターン制度)を設立すること望ましい。

生物分子科学と構造生物化学では、例えば、タンパク質分子の三次元構造を基礎に、各種の現象におけるメカニズムを解明するが、現状、X線結晶解析法 によるタンパク質分子の三次元構造の利用が大半である。タンパク質とその基質との間の相互作用の解明には、高分解能のNMR分析が、より適している。今 後、高分解能のNMR分析を利用し、タンパク質分子と基質との相互作用を特定することにより多くの注目が集まる。